父が教えてくれたこと-1

今日の仕事で運転をして埼玉・東松山に行く途中に、ふと父のことが思い出されて涙が出てきました。
「一生歩ける足作り」のお手伝いをしていこうと思うに至った父のことを2日に分けて書いていきます。

父は11年前に感染症が原因の敗血症で亡くなりました。
父が入院から亡くなるまでの大きな原因が足、そして、「決して自分の足で歩くことを諦めなかった」ことが思い出されました。

父と娘(当時3歳)。父が左足の治療で入院する直前です。右足は親指1本残りました。半年後に亡くなりました。

実家は豆腐屋を営んでいました。
父は昭和23年、小学5年生の時に父親をマラリアで亡くし、一家の大黒柱とならざるを得なくなり、学校にも行かせてもらえませんでした。中学では学校の先生が迎えに来たとも聞いています。
ずっと働きづめで、豆腐屋や養豚や稲作もし、30歳の時に定時制高校を卒業しました。

その後母と結婚し、姉、私、弟の3人の子供を持ちました。
午前2時起きの生活で腎臓を壊し、35歳のころ風邪でかかった病院にネフローゼと言われ1週間入院すれば治ると言われました。しかし、その頃同居していた祖母に断固反対され、どんどん腎臓は悪くなり、50歳の時に慢性腎不全で人工透析を余儀なくされました。

食事制限があったのですが、全く受け入れず、好きなものを食べていました。そして、体はしんどいはずなのに、好きなところに出かけて行きました。後から聞いて家族がびっくりするほどで、そこは私が一番引き継いでいるところでもあります。
父と2人で阿波踊りや道後温泉にも行ったのは良い思い出です。

私が進学のため東京に出てきて、そのまま就職、結婚、出産をし、娘(現在14歳)が2歳の時に、家で柱に右足の小指をぶつけ、病院での治療で完治しかけたところに再度同じところをぶつけて負傷しました。

そして追い討ちをかけるように、田んぼ作業で用水路の水門を開ける時に用水路に転落し、患部が感染、そして壊死を起こし始めました。
人工透析をしていると、動脈硬化を起こしやすく、手足にしびれや痛みが出て、壊死や切断に至ることもあります。村田英雄さんが糖尿病で両足切断されましたね。

地元の日赤病院では「膝から下の切断」と言われましたが、父は「歩けんのだったら死んだ方がマシや!」と言って拒否。

私がインターネットで調べ、「岡山に壊死をウジ虫で治療するお医者さまがいる」ということがわかり、連絡を取って受診、そして入院、手術となりました。手術後も感染があり、モルヒネを使うほど大変だったそうですが、右足の親指1本だけが残りました。
指があれば自分の足で歩けるのです。!

生後1ヶ月の娘と父

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